空に描いた放物線

関節リウマチとのお付き合い

感謝の気持ち、ありがとうを伝えに行って

4月29日 30歳になりました。

 

そんな日の朝、起きたら母からLINEが届いていました。

 

祖母が亡くなったと。

 

そして今日、顔を見に行けました。

もう、返事は返ってこないけど、ありがとうを沢山伝えてきました。

 

離婚した父方の祖母で、最後に会ったのは7年前。

一昨年の11月3日、入籍した日には電話で報告しましたが、電話すらも、かなり久しぶりでした。

少し、記憶力は落ちてきているのかな?と思う場面がありながらも、しっかりと会話は出来て、おめでとう、いい人と巡り会えて良かったね、と言ってくれて。

その電話の会話で、父が再婚していたことを知る、衝撃的な電話でもあったのですが、これが祖母と話した最後になってしまいました。

小さい頃は、遊びに行くたびに、欲しい物を何でも買ってくれて、美味しいもの沢山食べさせてくれて、初孫だったこともあり、本当に可愛がってくれました。

 

祖母が最近は少しずつ、弱ってきていたのはなんとなくわかってはいましたが、コロナで直接会う、ということがしづらい世間だったことはもちろん、1番は、父が再婚していたことを知ってしまったこともあり、祖母や叔父、叔母、従姉妹たちどんな顔をして会ったらいいのか?分からなくなっていました。

 

父と母が離婚したのは私が5歳の頃。

その後、5年くらいは父と母と一緒に、夏の1泊旅行、冬は日帰りスキーが恒例行事で、離婚しても仲は悪くないんだなと、子供ながらに勝手に思っていました。その恒例行事は、小学4年生の時を最後に、その後は父と会ったのもほんの数回。

最後に会ったのは、中学生の頃かな?その後は、全く会っていないし、連絡もほとんどとっていません。

そして一昨年の11月。

実は、父はずっと前から再婚していて、私と血が繋がっている兄弟もいるはず、なんて、自分の人生でそんな衝撃的な事実を知ることがあるなんて想像もしていなかったので、かなりショックでした。

その反面、私がこの年になるまで隠し通してくれたことに感謝しました。子供の頃の私にはとてもじゃないけど受け止めきれないし、あまりにも深い傷が残ったに違いない。

この年になるまで、たとえ近くに父親がいなくても、私にとってたった1人の父親の存在があるという事実に、私はかなり支えられていたと今となっては思うので、その存在を確立しておいてくれた母や父方の親族に、ありがたい気持ちでいっぱいでした。大人になった今なら、その事実を知りたかったし、このタイミングで知れて良かった。

でも、今、大人になってから知っても、父が私だけの父親でなかったんだ、という心の傷は残りました。父親のことを思い出した時に、ちょっと胸がぎゅっと締め付けられて、辛い気持ちになる、昔はなかった感情が湧くようになってしまいました…

 

その一方で、叔父と叔母は、私を小さい頃から本当に可愛いがってくれて、一緒にプールに連れて行ってくれたり、大好きなお兄ちゃんとお姉ちゃんでした。

今回も、祖母が亡くなったことを知らせてくれたのは、私の父親の弟にあたる叔父。

私の父とはとても仲が悪いのに、父と母が離婚しても、私と母にはとても良くしてくれて、感謝してもしきれない存在です。

 

考えれば考えるほど、祖母が生きているうちに、会いに行けば良かったという後悔の気持ちがふつふつと湧いてきてしまいますが、一昨年の結婚報告の電話も、疎遠になっていたことや、体調があまり良くないことは聞いていたので、正直電話をかけないという選択肢が頭の中にあった中で、あの時電話をかけて、自分の口で報告して、本当に良かった。私が結婚したこと、祖母が喜んでいたよ、と今日叔父や叔母も教えてくれて、嬉しかった。

 

色んな事がありすぎて、まだまだ受け止めきれない部分も正直あります。

昔のこと、色々思い出して、胸が締め付けられる思いにもなります。

 

でも、とにかく今は、祖母に、

お疲れ様

ありがとう

の言葉を伝えたい。

 

直接、話せなかったけど、

今日、もう返事はしてもらえないけど、

祖母の顔を見て、伝える事が出来ただけでも、

ありがたいことでした。

 

私の今まで30年間の人生を支えてくれた存在である祖母。

私たちは何もしてあげられなかった。

その祖母を最後まで近くで支えてくれた叔父家族。

 

25年以上前に亡くなった祖父と、天国で仲良くね。

 

これからも、見守ってください。

 

本当にありがとうございました。

 

どうぞ安らかに。