空に描いた放物線

関節リウマチとのお付き合い

生まれてから465日

今日で我が子が生まれて465日。

今月で、1歳3ヶ月になりました。

 

そして私は、一昨年11月に産休入りしてから約1年半ぶりに、来週から仕事に復帰します。

そう、長いようで本当にあっという間に、育休が終わりを迎えます( ;  ; )

 

切迫早産で、予定より急遽2週間早まった産休入り。

なんだかいつもよりお腹が張る気がして、仕事を休んで、健診を早めて病院に行ったら、子宮頸管長が短くなっていて、仕事は休んだ方が良いかな、と言われたあの日。ひとまず一度職場に行って、2時間足らずで残っていた引き継ぎを終わらせ、会える人には挨拶して、休みに入りました。

ずいぶん前のことと言えば前のことだけど、つい最近のことのようによく覚えているといえば覚えている。

あの時は、(復帰する時には、我が子が1歳になっていて、保育園に通っていて、私は仕事をすることになるんだなぁ〜そんなこと私に出来るのかなあ〜)と、全く実感なく、夢物語のようにぼんやりと想像をしていました。

そんな現実の日が、もう5日後に迫っています。

 

きっと、大変なことばかりだと思うし、まだまだずーーーっと息子と一緒にいたかったし、ただ単純に仕事したくないし!!!って思うけど、また、母親として初めての経験『ワーママ』になれるんだなぁと思うと、母親になれたことがただただ幸せな私にとって、これもまた幸せな経験。

仕事をし始めたら、多分そんなこと考える余裕もなくなるかもしれないし、全部投げたしたくなることだってきっとあるけど、ただ、我が子がいてくれて、私が母親であれたら、もうそれだけで幸せ。辛くなったら、その気持ちを思い出して、踏ん張ろうと思います。

 

この1年3ヶ月は、『幸せ』のひと言だけでは言い表せないほど、素敵な時間でした。人生最高の時間だったかもしれない。我が子との毎日が、一日一日が、キラキラ輝いてた。こんな夢のような時間をくれた我が子には感謝しかありません。

 

私のお腹で我が子がすくすく育ってくれたかけがえのない一心同体の37週間。

最後の1ヶ月半は、病院のベッドの上でただただ安静に過ごして、我が子の成長と、まだまだ生まれないでね、と願う日々。

そして、辛い入院生活を乗り越えて、やっと会えた我が子。帝王切開は確かに大変だったけど、我が子に無事に会えた喜びがあまりに大きすぎて、全然辛くなかった。

退院日、2ヶ月ぶりに吸う外の空気は、大寒波でとっても寒かったけど、我が子をこの腕に抱いている温もりで、最高に美味しかった。

1ヶ月半は里帰りで実家にお世話になり、祖母と実母の手を借りながらの初めての子育て。我が子がよく寝てくれる子だったし、母乳もよく出ていたこともあり、何より、入院中が精神的にも辛すぎたので、我が子と過ごせるだけで幸せで、3時間おきの授乳も全然辛くなかった。

睡眠が取れないとすぐ体調を崩すタイプなので、出産前は3時間ごとの授乳なんて私に出来るのかな?と、母親になるにあたって一番不安に思っていたけど、実際我が子が生まれてみたら、夜中でも少し泣けばすぐ目が覚めて、授乳して、その生活が当たり前になって、辛いと思うこともなかった。これだけは、自分でもびっくりした。

自宅に戻ってからの生活は、日中我が子と2人でゴロゴロ遊びながらのんびり過ごす時間が、なによりも贅沢な時間だった。

日に日に、表情が豊かになり、笑うようになり、手足が自分で動かせるようになり、目が合うようになり。あっという間に、寝返りが出来たらもう、行動範囲が少しずつ広がって、その場には止まらなくなった。ずり這い、ハイハイ、伝い歩き、ひとり歩きと気づいたら、あかちゃんから人間らしくなっていった。

母乳しか飲んでいなかった我が子が、ご飯を食べ、野菜を食べ、お肉やお魚を食べ、今はもう、マックまで一緒に食べるようになった。

赤ちゃんにとっての1年3ヶ月は、とてつもなく長い時間だろう。それほど、もう別人のように、成長した。私はこの1年3ヶ月、何も成長していない気がして、悲しくもなる、、、(泣)

でも、確かに、我が子との思い出は、1年3ヶ月で数えきれないほど、たくさん、たくさん増えた。

なんてことない毎日のちょっとしたお散歩も、抱っこの時間も、寝かしつけの時間も、授乳の時間も、ご飯の時間も、お風呂の時間も、おむつ替えの時間も、全部、ぜーーーーんぶが、思い出。

ディズニーランドも、この1年で4回も行けた。私の家族とも、旦那の家族とも、お泊まりしに行けた。飛行機にも乗って、鳥取島根と、沖縄に旅行に行けた。他にも、いっぱいいっぱいお出かけした。

この貴重な育休期間を、存分に、満喫したよーーー!!!もうこれで、悔いなし!!!

息子よ、最高の時間を、ありがとうーーーー!!!!!

 

そしてこれから始まる、母親としての生活は第2章。

育児、家事、そして仕事。

我が子と過ごせる時間はグッと減る。

その分、かけがえのない時間を、大切に。濃密に。

全く、自信はありません。リウマチもあって、体力も全然ありません。でも、今のところ、やる気だけはあります。今のところ、、、!

だって、我が家には、私が働かない選択肢はない。夫の収入だけでは、家族3人最低限の生活すらままならないから。

だから、働くよ。働いたところで決して裕福じゃないけど、衣食住に困らない生活はせめてさせてあげたい。ささやかな幸せを家族みんなで噛み締めていこう。

 

夢だった母になること。

それが叶ったら、いつ死んでもいいと思ってた。

でも、子供を産んだらもう、絶対死にたくない。

絶対生きる。我が子の成長を、見守りたい。

月日が経てば、徐々に、我が子との距離は離れていくと思う。息子がどんな人生を歩むかはわからないけど、20数年後には、きっと、ただただ幸せを願うだけかもしれないけど、それもまた、幸せなこと。

 

そして私の、もうひとつの夢。マイホーム。それもあと少しで叶います。8月には引き渡しされる予定で、今、絶賛建設中。

私の実家の敷地内に建つマイホーム。土地を使わせてくれた祖母と母に感謝だし、何より1番感謝しなくちゃいけないのは、それを許してくれた夫と夫のご両親。夫は長男なのにね、快く了承してくれた。どれだけ感謝しても、しきれない。

少しずつ出来て行くマイホームを見ては、感無量の毎日です。完成が楽しみだよーーーー!!!!

 

そして今の更なる夢。

夢はもっていた方が、口に出した方が、叶うと思っているから、ここに残しておこう。

息子にきょうだいを。

リウマチだし、PCOSだし、妊娠にハードルがあるのは間違いない。その上、仕事のこともあるので、来年くらいから、4学年差を目指してかな、と思ってるけど、私も来年になったら33歳、出産する時には34歳だと思うと、決してタイムリミットとしては余裕があるわけではない。

リウマチの薬は、とりあえず今も妊娠可能なものを継続してる。本当は違うのにしたいけど、やっぱり諦めきれないから。

不妊治療のクリニックに通うのは、時間的にも、多分厳しい。ひとまず、治療しないで出来る限り、出来なかったらその時は諦めようかな。なんて今は思ってるけど、その時になったら、私の性格上、そう簡単には諦められない気がする。無理してでも、クリニックに通うかもな〜

そしてやっぱり、学費の心配は大きい。高校大学と、1人でも厳しいのに、2人って。でも、諦めるのは簡単だけど、お金だけのせいで諦めるのも悔しい。

これはもう、私だけの問題じゃないから、旦那ともまだまだこれから、よく相談していかないとね。

 

今日は復職前最後の1人時間。

ココスでのんびり1人ランチしながら、美味しいコーヒーを飲みながら、これを書いています。

この時間のことも、きっといつか、思い出す時がくるでしょう。

息子が大きくなって、手が離れたら、きっと1人でのんびりランチできる時間なんていくらでもあるだろうから。

今は、息子と過ごせる時間を大事にするよ。

1年3ヶ月、ママと一緒に過ごさせてくれてありがとう。大切な時間をありがとう。これからも、ずっと、大好きだよ。

 

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母になりました

2023年1月17日13時53分

帝王切開にて、我が子を出産しました。

ついに、母になりました。

 

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切迫早産での1ヶ月半の入院生活を経て、

無事に、37週0日で、2548g・46cmの男の子が誕生しました。

ギリギリ正期産だったので、心配していた体重もなんとか2500gを超えていて、呼吸もしっかりでき、保育器にもお世話にならずに、昨日で生後7日目を迎えることが出来ました。

 

そして今日、ついに退院日を迎えました。
12月2日から55日間の入院生活。
本当に、長い長い2ヶ月間。
産前の入院は、本当に辛い時間でした。

でも、先生も看護師さんも、本当に優しく、声掛けてくれたり、励ましてくれたり、そのお陰でなんとか、頑張れました。
何より、我が子に会えるその日まで、なんとか耐えるしかないと、何度も自分に言い聞かせながら。
1月17日、無事に我が子に会えたあの日、あの瞬間のことは、一生忘れることはないでしょう。
むしろ、この2ヶ月間のことは、絶対忘れることはありません。辛いこと、苦しいこと、嬉しいこと、幸せなこと、こんなに濃い2ヶ月間もなかなかないかもしれません。
スタッフの皆さんにお世話になりすぎて、なんだか今は少し、退院するのが少し寂しい気持ち。


2ヶ月ぶりの外の世界は、10年振りの最強寒波で、各地で大雪。私の住んでいるところは、空気が澄んで、良いお天気。青い空が綺麗です。きっと、とっても寒いと思う。

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これから、本格的に母として、育児が始まります。
大変なことは沢山待っていると思うけど、この2ヶ月があったから、我が子が目の前にいてくれるだけで、それだけで幸せだし、多少の辛いことは乗り越えられる気がする。こんなに頑張れたんだもん。


ずっと夢だった『母になる』ことを叶えてくれた、我が子に、ありがとうの気持ちでいっぱいです。

きっと、子育てなんてあっという間に終わってしまうと思うから。

我が子と一緒にいられる時間、一瞬一瞬を大切に、過ごしていきたいな。

 

母への道のりは簡単じゃなかった

昨年6月3日に妊娠が判明してから、早7ヶ月が過ぎ、新しい年を迎えました。

 

本当にありがたいことに、私のお腹の中では小さな命が日々成長しています。

先日1月10日で、妊娠36週を迎え、

今日(36週3日)の健診では、2625gまで順調に育ってくれています。

逆子ちゃんのため、37週ちょうどの来週1月17日に帝王切開が決まり、あと4日で会えます!!!!!

我が子と会える日が、もう、すぐ目の前に!!!

 

いつの日からか、私にとって大きな夢になっていた「母になる」ということ。

もうそれが叶ったら、私の人生で後悔はないなと思うくらい、大きな夢。

もちろん、結婚してからはマイホーム欲しいな〜とか色々と欲望はあるけど、それとは比にならないレベル。だって、母になることは努力だけではどうにも叶わないからね。リウマチや、子宮頸部軽度異形成、生理不順と、本当にハードルもたくさんあったから。

 

そして今、妊娠・出産して、お母さんになる、という夢がもう少しで叶いそうなこの現実。

妊娠がわかって半年以上経った今でも、まだ、夢なんじゃないか?と思う瞬間があります。

こんなにお腹が大きくなってるのに(笑)

そのくらい、信じられないほど、嬉しくて、嬉しくて、たまらない。

 

何よりも、女の人しか経験できない、我が子と一心同体で、自分のお腹の中で育てることができる貴重な妊娠期間。夢にまで見た、マタニティライフ。

 

しかし!母になるまでの道のりは、そう簡単ではありませんでした………!

 

12月2日から、今も、入院中です………💦

切迫早産で…

 

雲行きが怪しくなったのは、11月5日(26週4日)の健診。子宮頸管長が、前回40mmあったのに、33mmになっていて、少し短めと指摘されました。

仕事を休む程ではないけど、家に帰ったらなるべく安静に過ごしてね、との指示と、念のため1日3回張り止めを処方しておくから飲んでね、とのことでした。

しかし、実際のところは通勤時間も1時間以上かかるので、仕事をして家に帰ったら、夕食・風呂・洗濯の最低限の家事をこなすだけで、寝る時間。夜寝る以外に、横になれる時間は結局ほとんど確保できませんでした。

 

それと…休みの日も、ディズニーランドと、ベビー用品のお買い物に行ってしまったんですよね…

どうしても、妊娠期間中に行きたくて。今思うと、恐ろしい決断ですが、あの時は、行きたい気持ちが勝ってしまったし、そんなに深刻に考えてなかった…

甘かったですね……

 

そして、次の健診に行ったのが11月17日(28週2日)。健診は2週間後の土曜日の予定でしたが、数日前の水曜日の夜に、すごくお腹が張る…なんか今まで感じたことないくらいに張っている気がして…翌日、仕事を休ませてもらい、土曜日の健診を2日早めました。

すると、やはり子宮頸管長は30.5mmで更に短く。30mm切ると仕事は休んだ方が良いと指示しているとのことで、お腹の張りもかなり感じていることを伝えて、もう休んだ方が良いとの判断で、診断書をもらいました。

31週途中の12月10日から、有休を使わせてもらって早めに産休に入らせてもらう予定にしてたので、約3週間早めの急遽の産休入り。

職場の人には申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、少しずつ引き継ぎは進めていたので、何とかその日、健診後にそのまま職場に向かい、後片付けと最終的な引き継ぎを2〜3時間で済ませ、産休に入りました。

仕事も力仕事が多く、正直、11月に入ってからは出来ないことばかりになってきていたので、早めに産休に入れてホッとする気持ちの方が強かったです。

 

そこからは、おうちでなるべく安静に過ごす日々が始まりました。とは言っても、夫はほとんど家事が出来ないので、料理・洗濯程度の最低限の家事だけは私がやりつつ、それ以外は横になって過ごしていました。

しかし、そんな生活をしていても、徐々にお腹の張りを感じることは増えていて、横になっていても張っているし、夜寝る時も張ってる。張り止めを飲んだところで張りが減る感じもしない。そんな2週間でした。

ただ、痛みや出血はないので、安静に過ごし、予定通り2週間後に健診へ。

 

12月1日(30週2日)の健診で、子宮頸管長は20mmまで短くなってしまっていました…

ここまで来てしまうと、入院した方が安心かな…と先生から言われてしまい、少しそんな予感はしながら、もしかしたらそうなるかも…と考えながら健診に来たものの、実際に言われるとショックが大きく…そうですよね…わかりました…とかなり小声で返事したのを覚えています。

準備もあると思うから、とのことで、翌日から入院することになり、家に帰って夫や母に連絡したり、急いで入院準備。その夜は、次、家に帰って来る時は、我が子が産まれているかも?夫と2人で寝る夜はもう最後かも?と考えれば考えるほど、寂しくてたまらなくなりました…その反面、年末年始くらいは家帰ってきたいよね〜と軽く考えてもいました。

 

そして、12月2日(30週3日)から入院。

前日の寂しい気持ちが嘘のように、当日の朝にはもう吹っ切れて、人生初の入院に、なんだか少しだけワクワクしている自分がいました(笑)

さらに今回の入院は、自分の病気を治すためだけでもなく、終わりが見えないわけでもない。

出産という目標に向かって、元気な我が子に会うための入院であり、期間だって最長でも1ヶ月半。そう考えたら、だいぶ前向きになれました。

 

入院直後から、早速、ウテメリンの点滴が開始。

2A20mlと、最低量からの開始で、始めて1〜2時間でお腹がスーっと軽くなる感じ。明らかに、張りがおさまっていくのがわかりました。

同時に、それだけ今まで張っていたんだなと、きっと赤ちゃんも苦しかったよね…と、とても申し訳なくなりました。

 

入院後の数日は、NSTでの張りもなく、とても順調なスタートに見えたのですが…

入院4日目には、NSTで明らかに張っている。私自身も、張っている自覚あり。

もちろんすぐに、点滴が増量になりました。

その後も、だいたい2日に1回のNSTで、毎回張りがあり、その度に点滴が増量。

気がついたら、3A26mlまで増えていました。

 

副作用としては、動悸はなかなかおさまらずずーっと続いていますが、手の震えは入院直後はキツかったものの、数日で気にならなくなりました。

 

しかし、ウテメリンを増やしても増やしても、なくならないお腹の張り。週数的にも、まだまだ産まれてしまっては困る!

そこで始まった点滴が、マグセントでした。

ウテメリンよりも効果は強く、その分、副作用も強い。なので先生も出来るだけ使いたくないというお話をされていたのですが、もうウテメリンだけではどうにもならず…マグセントにお世話になることになりました。

12/19〜 12ml/hで開始。当日は、張りがおさまって、目立った副作用もなく、ホッとしたのも束の間。翌日12/20は朝から吐き気が…朝昼2回吐いてしまいました。なんとか果物・うどん・ゼリー程度は口に出来るものの、食欲はないし、吐くのが怖くてあまり食べられず。倦怠感や頭痛もあり、やはりマグセントはキツイ…ひとまず、副作用がきつそうだからと流量を10ml/hに下げてくれました。部屋も、ナースステーションに近い個室に移動させてくれ、とてもありがたかったです…

朝のうちに、血中濃度を測るための採血もしていて、午後に結果が出るとかなり血中濃度が高くなっていたようで、8ml/hに更に減量されました。

減量したからか?翌日以降は、食欲こそないものの、吐いてしまうことはなく、少しずつ、少しずつですが、食欲も回復していきました。

ここからは、多少のお腹の張りはありながらも、子宮頸管長も20〜25mmを維持できていることもあり、マグセント8ml/hとウテメリン3A26ml(途中で水分量減らすために4A20mlへ変更したけど)で、点滴も落ち着きました。

この頃からは、入院生活にも慣れて、点滴にも慣れて、そんな中でクリスマス・年末年始を病室で迎え、ただただ赤ちゃんのことを思い、耐え忍ぶ日々。かなり副作用がキツイと言われているマグセントを使っているわりには、まともな生活が送れていたと思います。

 

そんな辛い入院生活でも、ただ1つ幸いだったのが、私の血管は強かった!だいたい、点滴が1週間はもつので、頻繁な差し替えもないし、痛みもたまにある程度。差し替える時も、看護師さんに「(血管)選び放題だね〜!」と言われ(笑)失敗されることもありませんでした。シャワーのタイミングに合わせて差し替えが出来るので、シャワーの時はスッキリ!

これだけは本当に、不幸中の幸いだったと思います。切迫早産での長期入院では、点滴がもたなくて辛い思いをする人が多いようなので、自分の強い血管に感謝です(笑)ストレスがかなり軽減されていたのではないかと思います。

 

入院中は、大部屋で同室の人が夜になると暖房を消してしまい極寒になっていたり、初期の悪阻中の方だったので私のご飯が配膳されると空気清浄機をMAX風量にしに来たり…まあそういうストレスもありました。

 

看護師さんは優しい方ばかりで、本当に心の支えでした。もちろんお忙しそうで、声をかけづらいことはありましたが、基本的にはそういう雰囲気を出さずに声をかけてくれ、不安なことはないかと聞いてくれて。出産も、産後も、安心だなぁと思えました。

 

ご飯も毎日とっても美味しくて。量が多すぎて、とてもとても、1日中横になってカロリー消費していない今の食欲では食べきれないのが残念ですが、栄養バランスがいいのが誰でも分かるような、それでいて、おいしくて。妊娠後期はダイレクトで赤ちゃんに栄養がいくと考えたら、家にいたらとてもこんなに栄養バランスの良い食事なんて出来ないし、これは、この時期入院していて赤ちゃんとっては良かったなぁと思えました。

 

 

そんなこんなで、夢のマタニティライフは、全くもって理想通りには過ごせませんでした。

特に産休中は、色々とやりたいな〜と思い描いていたことが沢山あったので、SNSを見て、キラキラ妊婦さんたちを見て、どれだけ羨ましいと思ったことか…

でも、そんなことよりも、何よりも、今は、元気な赤ちゃんに会えることが1番の願い。

 

いよいよ、この愛おしいお腹、胎動ともお別れです。

 

4日後の1月17日、母子ともに無事に出産を乗り越え、元気な我が子に会えることを願って…✨

 

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陽性反応

結婚して1年半が経ちました。

昨年の11月に無事に結婚式が終わってから、平穏な日々。コロナで外出も制限があるから、旅行にも行けず。

 

そんな毎日で、買い物に出かけると、気になる子連れ家族の存在。

 

今までの人生で、色々な夢が叶って、幸せって思えることが沢山あって、そんな人生であと一つ、絶対に叶えたい夢。

 

母になること

 

です。

 

しかしそれには、沢山の壁が。

 

1つ目は仕事。

昨年の3月で同僚が辞めてしまい、昨年度の1年間は私1人でリハビリを回していました。別の部署に配置されているリハ職が1人いるものの、その人もまあまあ仕事抱えてるし、私がやっている仕事を任せることはほぼ不可能。

施設長は、女性だから、授かりものだから仕事のことは気にしなくていいのよと言ってくれたけど、セクハラ副施設長には、くれぐれも(妊娠しないように)気をつけてね、と言われた。

マジで理事長に訴えてやろうかと思ったけど、今の職場なるべく続けたいし、まだ1回目だから許してやるか、と思い、施設長にだけ報告して終わらせた。

と、色々とあったけど、実際問題としては、そんな職場のことはどうでも良くて、私がいなくなって困るのは副施設長だから、困れば良いと思ってた。

それよりも、来月控えている建て替え引っ越し。18億かけた施設の建て替えなんて、そうそう関われることではないし、その上リハビリ関連は私に完全に任されてて、自分の思い通りの空間が作れる!これは絶対、自分がどうしても最後までやり遂げたかった!だから、来月の引っ越しが終わる以降までは、絶対に仕事を続けられるように、妊娠するわけにはいかなかった。

 

2つ目はリウマチ。

結婚した頃、MTXとオルミエントでとっても調子が良かった。しかし、どちらも妊娠希望では使えないから、エタネルセプトに変更。

同棲してすぐは避妊はしてはいたものの、友達が避難してても妊娠した!という話を聞き、もし万が一妊娠した時に薬のことで心配したくないと、早めにエタネルセプトに切り替えた。しかしやっぱり、MTXがないと関節が痛む…本当に避妊を止める時までは、やっぱりMTXは続けることにした。

そんなこんなで、薬の調整をしながら、計画的にしか妊娠してはいけないというのが、なかなか辛かった。

 

そして、昨年11月には結婚式もあり、つわり中に結婚式の準備とか絶対無理!!!と思っていたので、結婚式が終わってから、と考えた。

 

そのもろもろの条件が整って、避妊解除したのが昨年10月。

 

元々生理不順で45日周期なんてザラだったけど、8月末の後が11月末、その後が3月頭、と生理が全然来ない!!!90日以上の周期?流石にやばくないか?!しかも、その間に、1週間くらいの不正出血があったり。

いつ排卵してるかなんて全くわからないし、そもそも排卵してない可能性もあるし…

それにもし排卵してたとしても、28日周期の人の1/3以下のチャンスしかないんですけど…

 

更にそんな時、たまたま12月に受けた子宮頚がん検診で、軽度異形成が発覚!

もう、妊娠どころの話ではない…

妊娠出来る身体じゃないよ、、、と突きつけられたようで、かなり凹んだ。

しかし、12月、4月と大きい病院の婦人科で細胞診をやって、4月には異形成よりも軽いレベルのASC-USとのことで、Drから不妊クリニックの受診もOKが出た。そのおかげで、躊躇していた不妊クリニックの予約も、とれた。

 

まだ妊娠希望して半年ではあるけど、

・リウマチ なるべく早くMTXも再開したい

・子宮頸部軽度異形成

・重度の生理不順

こんなんで自然妊娠待ってても仕方ない!

 

さっさと医療の力借りるぞー!!!

ってことで、先月5月に不妊クリニックの予約が取れて受診。

 

初診では、内診(超音波)と血液検査。

育ってる卵胞がなかったので、D25の低温期だけど、クロミッド1日2錠×5日を処方された。

勧められた当帰芍薬散も同時に開始。

 

クロミッドを飲み始めて3日目に高温期へ移行。

しかし、卵胞が2日前に育ってないのに排卵するわけないし、クロミッドの副作用で体温が上がることもあるってことだから、全く疑わずクロミッドを飲み続けた。高温期前半は36.6〜7だったのが、後半に36.9前後になり、ここが本当の排卵だ!と思い、タイミング祭り開催。

 

そして迎えた本日の診察。

私の見解では、まだ高温期7日目。

しかし先生(前回と違う先生)から、高温期長いけど妊娠してないよね?と言われ。

いやいや、それはないでしょ、と。笑

無言で内診した後、待合で尿検査を渡され、紙コップには妊検の文字。

もうドキドキしながら、でも期待し過ぎないようにしようと、自分を落ち着かせて待つこと30分。

診察室に呼ばれ、妊娠してますね。と。

もうびっくりして頭真っ白!!!前回の血液検査の結果も説明され、さらっと多嚢胞性卵胞と診断されたけど、何言われたかあまり覚えてない(笑)

一応胎嚢っぽいものは見えるけど、まだわからないから、来週診察予定ということに。

 

排卵直後にクロミッドを飲んでしまうという、あまり例のないことのように思うけど、妊娠1〜3週の服薬は、影響があればそもそも妊娠成立しないってことのようで、少し安心している。

まだ早いかもしれないけど。

来週ちゃんと、育っている事を願うしかない。

 

しかし全く実感がないので、家に帰ってきて妊娠検査薬をやってみる。

ちゃんと2本線!!!!!(そりゃそうか)

ここで少し実感が湧きました。

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次回、14日に診察。

私の愛しいおちびちゃん、すくすく成長してね。

 

改めて、自分の身体の中に命があるって、不思議。

 

こんな幸せ、わたしにも訪れる日が来るなんて、

夢のような、忘れられない1日。

 

2022.6.3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感謝の気持ち、ありがとうを伝えに行って

4月29日 30歳になりました。

 

そんな日の朝、起きたら母からLINEが届いていました。

 

祖母が亡くなったと。

 

そして今日、顔を見に行けました。

もう、返事は返ってこないけど、ありがとうを沢山伝えてきました。

 

離婚した父方の祖母で、最後に会ったのは7年前。

一昨年の11月3日、入籍した日には電話で報告しましたが、電話すらも、かなり久しぶりでした。

少し、記憶力は落ちてきているのかな?と思う場面がありながらも、しっかりと会話は出来て、おめでとう、いい人と巡り会えて良かったね、と言ってくれて。

その電話の会話で、父が再婚していたことを知る、衝撃的な電話でもあったのですが、これが祖母と話した最後になってしまいました。

小さい頃は、遊びに行くたびに、欲しい物を何でも買ってくれて、美味しいもの沢山食べさせてくれて、初孫だったこともあり、本当に可愛がってくれました。

 

祖母が最近は少しずつ、弱ってきていたのはなんとなくわかってはいましたが、コロナで直接会う、ということがしづらい世間だったことはもちろん、1番は、父が再婚していたことを知ってしまったこともあり、祖母や叔父、叔母、従姉妹たちどんな顔をして会ったらいいのか?分からなくなっていました。

 

父と母が離婚したのは私が5歳の頃。

その後、5年くらいは父と母と一緒に、夏の1泊旅行、冬は日帰りスキーが恒例行事で、離婚しても仲は悪くないんだなと、子供ながらに勝手に思っていました。その恒例行事は、小学4年生の時を最後に、その後は父と会ったのもほんの数回。

最後に会ったのは、中学生の頃かな?その後は、全く会っていないし、連絡もほとんどとっていません。

そして一昨年の11月。

実は、父はずっと前から再婚していて、私と血が繋がっている兄弟もいるはず、なんて、自分の人生でそんな衝撃的な事実を知ることがあるなんて想像もしていなかったので、かなりショックでした。

その反面、私がこの年になるまで隠し通してくれたことに感謝しました。子供の頃の私にはとてもじゃないけど受け止めきれないし、あまりにも深い傷が残ったに違いない。

この年になるまで、たとえ近くに父親がいなくても、私にとってたった1人の父親の存在があるという事実に、私はかなり支えられていたと今となっては思うので、その存在を確立しておいてくれた母や父方の親族に、ありがたい気持ちでいっぱいでした。大人になった今なら、その事実を知りたかったし、このタイミングで知れて良かった。

でも、今、大人になってから知っても、父が私だけの父親でなかったんだ、という心の傷は残りました。父親のことを思い出した時に、ちょっと胸がぎゅっと締め付けられて、辛い気持ちになる、昔はなかった感情が湧くようになってしまいました…

 

その一方で、叔父と叔母は、私を小さい頃から本当に可愛いがってくれて、一緒にプールに連れて行ってくれたり、大好きなお兄ちゃんとお姉ちゃんでした。

今回も、祖母が亡くなったことを知らせてくれたのは、私の父親の弟にあたる叔父。

私の父とはとても仲が悪いのに、父と母が離婚しても、私と母にはとても良くしてくれて、感謝してもしきれない存在です。

 

考えれば考えるほど、祖母が生きているうちに、会いに行けば良かったという後悔の気持ちがふつふつと湧いてきてしまいますが、一昨年の結婚報告の電話も、疎遠になっていたことや、体調があまり良くないことは聞いていたので、正直電話をかけないという選択肢が頭の中にあった中で、あの時電話をかけて、自分の口で報告して、本当に良かった。私が結婚したこと、祖母が喜んでいたよ、と今日叔父や叔母も教えてくれて、嬉しかった。

 

色んな事がありすぎて、まだまだ受け止めきれない部分も正直あります。

昔のこと、色々思い出して、胸が締め付けられる思いにもなります。

 

でも、とにかく今は、祖母に、

お疲れ様

ありがとう

の言葉を伝えたい。

 

直接、話せなかったけど、

今日、もう返事はしてもらえないけど、

祖母の顔を見て、伝える事が出来ただけでも、

ありがたいことでした。

 

私の今まで30年間の人生を支えてくれた存在である祖母。

私たちは何もしてあげられなかった。

その祖母を最後まで近くで支えてくれた叔父家族。

 

25年以上前に亡くなった祖父と、天国で仲良くね。

 

これからも、見守ってください。

 

本当にありがとうございました。

 

どうぞ安らかに。

結婚披露宴を終えて

3日前の、2021年11月20日

大好きな場所で、大切な家族と大好きなお友達に見守られ、結婚披露宴を無事に執り行うことができました。

 

準備している期間は正直、

一生に一回のことだから後悔したくない。

皆んなにこれで本当に楽しんでもらえるのだろうか?ただの自己満足になってない?

旦那も私の意見を尊重してくれていたので、だからこそ、ちゃんと2人の結婚式になってる?私一人のやりたいことだけになってない?

そして何より、1ヶ月前を切ってからは、とにかく準備が終わる気がしない…

そんな不安に押し潰されそうで、夫にも何度もあたってしまいました…

楽しいことなのになんでそんなにイライラしてるの?と言われて、ふと我に返ったり…

だから、今はホッとしています。

 

1週間前になっても、正直全く実感はなくて、ただ準備に追われてた日々。

前日、全ての荷物の持ち込みが終わってやっと、実感が湧いて、緊張してきました。夜は、前日まで夜ふかしが続いてたから、緊張して眠れないとかはなく23時前にいつも通り眠れました。

 

当日は、さすがに緊張。

夜の式だから、朝少しゆっくり起きて、普通に家の片付けしたり家事をしたり。なるべくいつも通り過ごしました。 

式場(ホテル)に着いてからは、2時間くらい余裕があったはずなのに、母たちの部屋に行ったりしていたら、あっという間に入り時間。

もうそこからは、怒涛の数時間。

 

今思い返しても、なんだか本番の数時間はあまりにも自分がふわふわしていて、記憶が断片的。

あんなに地に足がついていない時間を過ごしたのは初めてかもしれないです。笑

スタッフさんの話とかもう、びっくりするくらい頭に入らないこと…ほんと、キャプテンと介添さんにはご迷惑をかけすぎて申し訳なかったです…

 

あんなにも感動して、幸せな、時間・瞬間は、もう人生で二度とない…!と思うくらい、本当にずっと興奮していた時間でした。

 

友人達や親族、スタッフさんたちからも、私がずっと笑顔で楽しそうで、幸せそうだったから、すごく素敵な式だった。

と、沢山言っていただき、とても嬉しかったです。

笑わなくちゃとかは全く意識してなかったのに、確かに、ずっと楽しくて笑ってた!

ただ、笑っていないと泣きそうで…というのはあった。

 

挙式の入場、とても緊張していたから、叔父と歩き始めた時は泣かずにいられたのに、母のところについたら母がもう涙ボロボロでベールダウンしてくれて、もうそこで涙堪えきれず。

フラワーシャワーも、やっとみんなの顔をちゃんと見られて嬉しいのと、みんなが「おめでとう」と言ってくれていてもう感動。

披露宴もウェルカムスピーチとプロフィール紹介の序盤で泣きそうになる…汗(コンサートもオープニングで泣くタイプ)

まあそして最後、新郎サプライズ、花嫁手紙、記念品贈呈でももちろん涙は堪えきれず。

ただ、花嫁の手紙は、私にしてはだいぶ堪えた方。泣いて読めないとかなかったから。前日まで何度も読んでおいて良かった…ゲストも結構涙をすすりながら聞いてくれていた。

 

そういえば、親族紹介で親戚一同と写真を撮る時。夫のおばあちゃんが号泣してて、私も我慢できなくなってしまった。

初孫だから、やっぱりそれなりに思いが強いんだと思った。愛されてるね。

 

私の中では、松潤になったつもりで、自分のコンサートを作るつもりで、準備してきた結婚式。

ジャビットくんが来られるか直前まで来られるかわからなかったけど、無事に来てもらえた。

会場を、本当は夜景の見える高層階でやる予定だったのだけど、1ヶ月前に広い地下の会場に変更した。夜景を見ながら、が憧れだったからすごく究極の選択だったけど、結果的に、広さもちょうど良くて、変更して良かった。

夜景バックで綺麗な写真を撮るのは想像以上に大変そうで、多分スマホでは無理だし。

感染対策的にも、1テーブル3〜4人で安心して座ってもらえたと思う。

色々なわたしのこだわりも、正直プランナーさんに、それはちょっと…みたいな反応をされたことも多々あり…なかなか全てが思い通りにはならないんだと思い、コンサートを作ることがいかに大変なのか、思い知りました(笑)

当日も、あんなに沢山のスタッフの方のご協力があって、無事に全てが滞りなく進んだこと。

結婚式って何でこんなにお金かかるのと思っていたけど、これだけ人が動いてくれていたら、安いもんだと思いましたよ…!

半日でこの金額を使うのは、人生で一度きりの豪遊だとも思いましたけどね(笑)

 

元々、結婚式にそこまでの憧れもなく、やらなくてもいいかな…という気持ちもあって、ただ、思い出の場所でウェディングフォトを撮るためには

結婚式を挙げた人だけってことになっていたので、流れでまあやるか、ってことに。私も夫も、長男長女だし。

両親に沢山援助もしてもらって、なんとか貯めた少ない私たちの貯金でも、挙げることができた。

結果的には、結婚式をやって本当に良かった!こんな経験、今しか出来ない!もう二度とない!

本当に幸せで、最高の時間でした。

それは何より、家族・友人・スタッフさんが周りにいてくれたからこそ。

どれだけありがとうを言っても、足りません。

 

結婚式を挙げようか迷っている人には、絶対に、あげた方が良いよ、と言ってあげたい。

 

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夫からサプライズでもらった花束♡

 

 

 

ご両親にご挨拶

今日、彼のご両親にご挨拶に行きました。

 

とても優しいご両親でした。

この方たちと、家族になれるんだって、なんだかすごく嬉しくなるくらいに。

 

リウマチのこと、彼からご両親に話しておいてくれて、今日も、ご心配をおかけしてすみません。と言ったら、大丈夫だよ。と言ってくれました。幸い、お父様が製薬会社に勤めていて。

すごく理解がありました。

 

うちは、父親もいない、弟は障害を持っていて。色々と複雑な家庭事情。その上、リウマチ。全て話した上で。

すごく優しく受け入れてくれたこと。

 

何もできない息子だけど、よろしくね。

 

と言ってくれたご両親。

 

感謝しかありません。

 

本当に、幸せだなって。

 

 

彼の話だけ聞いてると、マザコンだなー結婚したら不安だなーと思ってたんだけど(笑)

なんだか今日会って、彼が、お母さんのこと大好きな理由がわかったような気がして。

あんなお母さんになりたいなーって。すごく思いました。

 

正直、私は、母みたいになりたいって思ったことなくて。祖母もね。

私のこと、育ててくれた、母と祖母には本当に感謝してるけど。

憧れの母親ではない。。。

どちらかというと、反面教師。

こんなこと思ってる自分も嫌なんだけど…

 

でも、彼のお母さんは、憧れのお母さんだった。

 

こんな彼と、彼の家族に会えたこと、私の人生にとって、とっても幸運なことだなって。

 

この出会いを大切に。

 

他人に恥じない生き方をしていかなくちゃって、何だかすごく気が引き締まる思いです。

 

 

最後に。最近のリウマチ事情。

先月末から、ケアラムを飲み始めました。

4週間は1錠で、問題なければ、来週の受診で2錠へ。

なんだか最近は、すごく調子が良い感じがします。ちょっと疲れが溜まると、痛みはあるけど。

こわばりもちょこっとだし、指の痛みも感じることがかなり少ない。

この調子で、落ち着くといいな…

 

精神的な安定も、やっぱり大切よね。

ストレスなく、過ごせるように。

 

あ、、、そういえば、母と彼にリウマチのことを話してから、調子が良いのかも。って、ことに気づいた。

うん、やっぱり隠し事ってストレスだよね。

 

皆んなに理解してもらえるって、すごくありがたい。